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町会の歩み

 墨田区は、隅田川の上流部から下流部にかけて、徐々に陸地化されてきました。
 我が町会のある向島地区は、浅草から川をはさんで島のように見えたことから、江戸の初期から「(川の)向こうの島」、『向島(むこうじま)』と呼ぶようになったそうです。区の北部に位置する当地域は墨田区の中でも歴史が古く、昔の佇まいを残す通りがたくさんあります。
 当町会を囲む四つの通りのひとつ「曳舟川通り」は、江戸から明治にかけて、向島地区のメインストリートとして栄えた道です。江戸の頃、亀有から本所・深川地区へ水を引く上水路として造られましたが、いつしかこの川に小船を出して人を乗せ、岸から綱で引いて運ぶようになりました。そこから、この川の名前が「曳舟川」、川沿いの土手道を「曳舟川通り」と呼ぶようになったそうです。
 清流にたくさんの魚が集まり、子どもたちが飛び込んで遊んでいた川も、日本の近代化とともに水路としての役目を終えました。町に多くの工場が立ち並び、ドブ川へとその姿を変えしまったのです。
 昭和29年、曳舟川の埋め立て工事が着工され、ときを同じくして我が「東向島二丁目町会(旧寺島二丁目東町会)」が設立いたしました。

安藤広重
四ッ木通用水引ふね
 設立当時の町会の大きな事業に、『害虫・ネズミ駆除』がありました。町を上げて、害虫駆除に取り組み、「ハエを100匹捕まえた人には景品贈呈」などのイベントもありました。
 町会の初期のイベントとしては、『子ども相撲大会』が大変な賑わいを見せていました。第三寺島小学校の行事としてグランドに土俵を作って行われていましたが、数年の後、廃止となりました。 その後、町内から「もう一度相撲大会を!」という声があがり、現在のふじ公園脇に場所を変え、町会の行事として、昭和50年代まで、行われていました。
 昭和39年、町名が寺島町から東向島へ改名されました。
 42年には東武鉄道の高架が完成しました。
 45年には向島郵便局が落成(以前は、キャバレー。その前は映画館がありました)、 47年には水戸街道を運行していた都電が姿を消し、町の模様も変わってきました。
 町会の行事も、一泊スキーツアーや、日帰りスケートツアーなど、親睦を深める事業が多くなってきました。
 昭和46〜49年の第二次ベビーブームにより、この時期、当町会も子どもの数が増えました。そして52年、区内で初の町会が維持管理する公園『ふじ公園が』完成しました。(以前はノート工場でした)
 夏休みは毎週末にイベントがありました。水中運動会、ラジオ体操表彰式、こどもレクリエーション(バスを3台出した年もありました)。そして盆踊りも当時から大変な賑わいでした。

 ふじ公園が完成した年から始まった『納涼盆踊り大会』、最初の数年間は、仮装して参加する人が大勢いて、今とは違った雰囲気で盛り上がりを見せていました。
(右写真の赤いドレスの女装男性、左側は現会長田口氏)




日本テレビ「おもいっきりテレビ」
平成12年11月放送より
昭和62年実施の防災ゲームの様子
 親睦行事だけではなく、助け合いの活動もいろいろな形で展開してきました。
 前述のネズミ・害虫駆除は、下水道の整備に伴い姿を消しましたが、健康づくりに関する啓蒙活動、交通安全運動、就学・敬老・成人の祝い、夜警等の防犯防火活動など。
 特に、昭和62年には筑波大学都市防災研究室の教授と協力し、日本初の防災ゲームを行いました。この模様は、多くのマスコミが取り上げ、当町会の防災に対する意識の高さを全国に知らしめました。
最近では、町会として空き缶等のリサイクル事業を実施するなど、常に時代の流れをとらえ、町会内のみなさんと協力し合い、町会の事業を発展させてまいりました。

 21世紀の始まりの年にホームページを開設し、「安心して暮らせる町」になるよう、今後もさらなる発展を続けてまいります。

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